速水に誘われ、3月14日の夜、田口は速水の自宅を訪れた。
ホワイトデーの夜に一緒にいることに疑問はない。
つまりはそういう関係なのだ。
疑問と言えば、夕食を用意したのが田口という点だ。
事前のリクエストで、本日のメニューは豚の生姜焼き定食である(ご飯と味噌汁が付いていれば、田口の定義では「定食」だ)。
バレンタインデーに、限定コーヒーでもてなしたのは田口だ。
「バレンタインのお返しの日だろ? 何で俺がメシ作ってんだ? しかもお前のリクエストなんて」
「俺が作るよりお前のが美味い」
「お前のおごりで外に食いに行くとかは?」
「ホワイトデーに男二人でフランス料理とか、お前ホントにやりたいか?」
速水に言われて、田口は首を横に振った。
フランスでもイタリアでも、ちょっとそれはどうかと思う。
周囲の、ホワイトデーなのにピンク色の空気に、自分が耐えられるとは思えない。
「居酒屋とかでもよかったんだぞ」
「家で飲みたかったんだよ」
そう言って速水は、一人でごそごそと酒の準備をしている。
田口にも見慣れたロックグラスを出し、氷の用意をする。食卓ではなく居間のソファで飲むつもりらしく、両手に器用に荷を抱えて台所を出ていった。
田口が食後の片付けをする間も、酒瓶やらつまみやらを持って速水は台所とリビングを往復した。
「おい、こっち来いよ」
「ん」
速水の声に生返事をして、田口は残り二枚の皿を拭き上げた。
速水の家の、食器棚の配置も熟知している自分が可笑しいやら何やらだ。
速水の方は田口の家の食器棚など、知りもしないのだろうが。
「終わったぞ、って……何? ウィスキーじゃないのか?」
テーブルの上にあったのは、見覚えのない酒だった。
学生時代からの付き合いだ、お互い酒の好みは熟知している。
学生時代はとにかく量優先だったが、最近は美味いウィスキーをロックでちびちびというスタイルの二人だった。
「座れよ」
田口を促して、速水は二本の酒を開けた。
氷を入れたロックグラスに二種類の酒を混ぜ、マドラーで軽くかき回す。
「カクテルなのか?」
「手抜きだけどな」
差し出されたグラスを鼻先まで持ってきて、田口は香りを味わった。
「コーヒーの匂いがする……」
「カルーア入ってるからな」
コーヒーリキュールの銘柄を上げられて、田口は納得して頷いた。
ウィスキーに似た色合いだが、一口含むと予想以上にアルコールが強い。
甘い匂いにだまされた気分だ。
「これ、何入ってる?」
「カルーアとウォッカ。ブラック・ルシアンだ」
「詳しいな」
「コーヒー党のお前に似合いだろ」
速水の言葉に、田口は顔を上げた。
ブラック・ルシアンを口に運びながら、速水はにやりと笑って田口を見る。
つまりこれが、速水のホワイトデーの演出というわけだ。
とどめとばかりに速水は笑った。
「ハッピーホワイトデー。先月は有難うな」
「…………どういたしまして」
ああ、気障すぎる。
キャンディやマシュマロ、クッキーレベルなら軽く受け取れるのに。
カクテルなんて大人の演出をされたら、惚れ直すしかなかった。
が、そんな表情を隠せるくらいには、田口も大人ではあった。
速水は見抜いているのかもしれないが。
「も一杯いくか?」
「ああ」
速水に促されて、田口はグラスを手渡した。
再度、大雑把にカルーアとウォッカが混ぜられる。最初のより若干色が濃いのは、カルーアが多めだからかもしれない。
鼻先にコーヒーの香りが漂う。
コーヒーで酔ったことはなかったなと田口は思った。
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