さり気に青本・赤本ネタバレ注意報
シリアスを書こうと思い立ちました。
将軍が魔人から借りたまま、どこかへ行っちゃった「ラプソディ」レコードの話です。
カテゴリは将軍と行灯ですが、行灯先生はあんまし出てこないかも……。
シリアスを書こうと思い立ちました。
将軍が魔人から借りたまま、どこかへ行っちゃった「ラプソディ」レコードの話です。
カテゴリは将軍と行灯ですが、行灯先生はあんまし出てこないかも……。
極北へ赴くため引っ越し準備をしている際、それは発掘された。
島津の物覚えのよさには敬服する。執念深いヤツだ。
二十年近く前に借りたきりの、水落冴子の「ラプソディ」のレコードだった。
「こんなとこにあったのか……」
奥深くから発掘されたことが速水自身にも意外だった。
水落冴子は好きな歌手だ。その「傑作」と呼ばれる作品を、どうしてこんな奥底にしまいこんだのか、自分の心理が解らない。
二十年前をラプソディの旋律と共に思い出そうとした。
酒で焼けてかえって色香のある声が、始まりの音を脳裏に紡ぐ。
「…………そうか」
思い出した。
島津に勧められて借りたレコードは、お世辞にも速水の趣味に一致するとは言い難かった。ジャケットの毒々しさに腰が引ける。
これを聞いて、「気分が晴れる」という島津の方がよほどおかしいんじゃないかと速水は思う。
だがまあ、借りたものは一度くらい聴いておこうか。
先輩から譲ってもらったレコードプレイヤーに円盤をセットして、針を置いた。少々の雑音の後、静かなピアノが雨の雫のように奏でられる。
眼差しの先に浮かぶのは、同期の友人の顔だった。
「…………え?」
何だ、これ。
何でここで田口が出てくる?
訳が分からないまま、速水は目を見開いた。それでも幻は消えない。
世界が二重写しになっているように、安い下宿の中に、ここには居ない田口はいる。
他の誰かに捧げられる笑顔、受け入れる腕、囁く声。
速水ではなく、他の誰か。
女だろうが男だろうが、速水じゃない誰かに。
速水に向けられるのは残酷な嫌悪、絶対の拒絶、永遠の距離。
嫌だ、と思う。
息が詰まった。
気道が狭くなり、心臓が走りだす。その感覚がリアルだ。
いつの間にかラプソディは終わっていた。
幻に囚われていたのに、不思議なことに旋律はほぼ記憶の中にある。
半ば呆然としたまま、速水は再度レコードを再生した。
雨の雫のピアノは、逆立った神経を宥めてくれる。
だが。
組み伏して、貪って、貫いて。
田口を壊す幻に、速水は途中でレコードを強制的に止めた。
直視など出来なかった。
有り得ない筈の幻に、拒否ではなく誘惑される自分が信じ難い。
誘惑が根を張る前に速水はレコードをプレイヤーから外して、元通りにジャケットにしまった。
これは二度と聴けない。聴きたくない。
目につくところに置いておくことさえ願い下げで、速水は押入れの奥に「ラプソディ」を突っ込んだのだった。
「よお。これ、返しにきたぞ」
「やっぱりあっただろ」
「ラプソディ」のレコードを持って島津の研究室を訪れると、島津は偉そうに言った。速水は苦笑を浮かべるしかない。
城崎がレコードを真っ二つにしたのは、彼らの正当性あってのことだ。
島津もそれは納得するが、残念に思うのも当然だった。水落冴子のサインが入ったジャケットは、折り目がついてしまっているが大切に保管している。
戻ってきたレコードを嬉しそうに手にする島津を見ながら、速水はふと島津に問いかけた。
「お前はこれを聞いて、何を見た?」
「分からず屋の上司をぶん投げて高笑いするところだ」
「なるほどね」
それなら、島津が「気が晴れる」と言った理由も解る。実に明朗快活な男だ。
「そういうお前は何を見たんだ?」
「俺か? 俺は…………」
恋の淵を。
そして、その深さに恐怖した。
速水は言葉を濁して誤魔化した。
そんな速水を、島津は怪訝そうな顔で見ていたが、気のいい男は深追いしなかった。
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